2026年ミラノ・コルティナ五輪で2大会連続のスキークロス代表に内定している須貝龍(すがい りょう)さん。
新潟・胎内(たいない)で育ち、アルペン日本一からスキークロス日本代表へと転身した“異色の挑戦者”です。
そんな須貝龍さんを幼少期から雪山へ連れ出し、2歳でスキーを履かせたのが父親の須貝澄夫(すがい すみお)さん。
バックカントリースキーをこよなく愛し、仕事での転勤をきっかけに家族で三条市へ移り住んだ「スキー馬鹿なサラリーマン」として知られています。
今回の記事では、須貝龍さんがなぜそのようなライフスタイルを選び、どのようにして日本代表を育て上げたのか?
父・須貝澄夫さんの人物像と家族ストーリーをたっぷり紹介します。
須貝龍はオリンピックの男子スキークロス代表!出身は新潟胎内市で妻と子供も!

まずは、須貝龍さん自身のプロフィールを整理しておきます。アルペンからの転向組として、スキークロス界では日本のエース的存在です。
北京五輪では「指関節1本差」という僅差で1回戦敗退となり、「悔しくて涙を流した」と振り返る須貝龍さん。
しかしその悔しさを糧に、2026年ミラノ・コルティナ五輪でのメダル獲得を目標に、世界ランキング1位を狙う4年計画を立てて挑戦を続けています。
プライベートでは2019年に元アルペンスキー日本代表の須貝未里(すがい みさと)さんと結婚し、2人の息子さんの父親でもあります。
スキー一家である妻側とも支え合いながら、競技・家庭の両輪で充実した日々を送っています。
【画像】須貝龍の父親は須貝澄夫!バックカントリーが趣味で家族全員スキー出身!

須貝龍さんの強さの原点には、父・須貝澄夫さんの存在があります。家族全員がスキーを愛する“スキー一家”の中で育ったことが、日本代表への道を開きました。
両親ともにバックカントリースキーを趣味で楽しんでいたため、休日は家族総出で山へ向かうのが当たり前という環境だったそうです。
須貝龍さんが2歳からスキーを始められたのも、「スキーを当たり前に楽しむ家庭文化」のおかげと言えます。
2022年の応援団報告会では、息子が北京五輪で写真判定の末、数センチ差で敗れたレースについて、「画像では指関節1本の差だが、本当は大きな差」とコメント。
「その差を埋めるには、ポイントや順位だけでは測れない『何か』に本人が気付かなければならない」と語り、アスリートとしての本質を突いた厳しくも愛ある言葉が印象的でした。
【画像】須貝龍の父親は須貝澄夫!三条市へ転勤の職業はサラリーマン?

須貝家は元々胎内市出身ですが、2015年頃から数年間、新潟県三条市で生活していたことが分かっています。 その理由が、「父親の仕事による転勤」です。
記事では職種名までは明記されていませんが、「父親の仕事の関係で2015年から4年間ほど三条市で暮らした」との一文から、企業勤めのサラリーマンとして異動・転勤がある職場に勤めていたことがうかがえます。
具体的な会社名や業界は公表されていないものの、少なくとも一定規模の企業で転勤を伴う勤務をしていた可能性が高いと思われます。
こうした背景を踏まえると、須貝澄夫さんの職業は、特定企業に勤める一般的なサラリーマンでありながら、オフにはバックカントリースキーに出かける“山とスキーをこよなく愛する会社員”という姿が見えてきます。
転勤で生活基盤が変わる中でも、家族でスキー文化を維持し続けたことで、須貝龍さんは環境の変化に強く、海外武者修行にも一人で飛び出せる行動力を身につけたのかもしれません。
「父の仕事の都合で移る土地でも、必ずスキー環境を見つける」、というスタイルが、世界を相手に戦うタフさを育てたと言えるのではないでしょうか?
まとめ|須貝龍の父親は須貝澄夫!バックカントリーが趣味で仕事はサラリーマン?
今回の記事のポイントをまとめました。
須貝龍さんの父親・須貝澄夫さんは、胎内出身のバックカントリースキーヤーであり、転勤を伴うサラリーマンの顔も持つ“二足のわらじ”の家庭人でした。
そのライフスタイルが、日本屈指のスキークロス選手を育て上げたと言っても過言ではありません。
表には出過ぎず、それでいて核心を突く一言で息子さんを励ます父・須貝澄夫さん。
ミラノ・コルティナ五輪で須貝龍さんがメダルをつかむ日には、バックカントリースキーが趣味の“サラリーマンお父さん”の存在にも、改めてスポットが当たりそうですね。
須貝龍さんの、ミラノコルティナ五輪はもちろん、その後の活躍や動向からますます目が離せませんね!
最後まで読んで頂き、ありがとうございます!
この記事が少しでもお役に立てたら幸いです!
それではまたお会いしましょう!


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